高島 平三郎 5
「高島 平三郎は日本ゴルフの草分けだった?」
日本ゴルフの草分けは、明治三十年に教育家の高島平三郎が運動調査のためロンドンから取り寄せたクラブを振ったことに始まるとされる。
同三十二年、生糸貿易業者の新井領一郎が渡米先でプレー、同三十四年には英国の茶商、アーサー・グルームが六甲山上に四ホールをつくるなど意外に古い歴史を持つにもかかわらず、進歩、普及は中断した。
(1983年2月28日、19面、「スポーツ界列伝・中村寅吉①」(朝日新聞)
追加
昨日(12月1日)、国会図書館で確認したところこの切抜きは「朝日」という事がわかりました。
中村寅吉さんが書いたものと勝手に思い込んでいましたが間違いです。
この記事は、「スポーツ界列伝その12・中村寅吉①」という事で朝日のスポーツ関係の記者が執筆したものです。
従って「高島平三郎が日本ゴルフの草分け」であるという事は、それほどいい加減なことではないようです。
日本ゴルフの歴史に関して調べてみてもはっきりした事は不明です。
岩波新書の田中義久著「ゴルフと日本人」によれば、
1901年 神戸に住む英人アーサー・グルームが六甲の山頂近くに4ホールの私的コースを作る。
1903年(明治36)5月24日 神戸ゴルフ倶楽部開設(会員131人、日本人は7人)。
1905年(明治38)入会した小倉庄太郎・末子の兄弟が日本人として始めてプレーする。
1907年(明治40)日本アマチュア・ゴルフ選手権開始(神戸ゴルフ倶楽部・六甲コース)。
その内容は「在日英国人ゴルフ選手権」というべきものであった。
1916年(大正5)一色虎児が日本人として日本アマに初参加。
1918年(大正7)井上信が日本人として初優勝。
1927年(昭和2)日本オープン選手権の開始。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)


最近のコメント